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かんざきれんの徒然日記
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昨日はほんとは佐賀県立図書館に行こうと思ってたけど、どうも体調がはかばかしくないので急遽予定変更。
天気良ければ先週行くはずだった宗勝寺に行ってきました!
そう、こちらは名前が示す通り、乃美(浦)宗勝さんと奥様の菩提寺です。
まずはお墓参り…だったんですが…
噂には聞いていたが…ほんとに竹やぶの奥……
しかもしばらく誰も通ってないらしく、途中トラップだらけ。
さすが景さま第一の家臣!と思いつつどうにか辿り着きました…
うん、夏はオススメしませぬ。あと、虫対策で完全防備で来るべし。
で、早速お参りしたわけですが。
宗勝さんのお墓新しいなーと思ってたら、どうやら21年前に改修したみたいです。
ちなみに奥様のお墓のが一回り大きいっていう。
しかし何故に毛利家及び毛利縁の方々は山奥にお墓が多いのでしょうorz(宗像にある景さまのお墓も然り)
で、またまたトラップを掻い潜って境内まで戻ったんですが、せっかくなら本堂見せていただけないかといざ突撃。
なんと実は訪問した翌日が宗勝さんの命日ということで、宗勝さんの肖像画が架けてあるではないですか!
併せてご位牌も拝ませていただきました…もうほんと感激で泣きましたとも、ええ。
ちなみに名島城の茶室の額も本堂には飾られていました。
宗勝寺の奥様にもとても親切にしていただいてほんとに感謝です。ありがとうございました!
行って良かった…!
予定変えて行ったのも、宗勝さんに呼ばれたような気がします。



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ニチアサの為に実家からレコーダーを持って来たのでこれで心おきなく日曜日も出掛けられる…!
てことで、先々週の日曜日は最後の18切符使って玖珂の周防高森まで行ってきました。

だって元氏さんに会いたかったんだもの!!

何故かここのところずっと元氏さんのターンでして。
居ても立ってもいられなくて遂に行ってきましたよ!片道5時間近く電車に揺られながらw
この日も雨予報だったので傘持参でしたが、結局一度もささずに済みましたよ。流石の毛利パワー。(*´ω`)ムフ
で、まずは元氏さんのご位牌のある浄泉寺さんから!
アポなし駄目もとで突撃したら、ご位牌拝ませていただけました…!
多謝でございます!!本当にありがとうございました!
休日だしアポなしだしと思いつつ勇気出してピンポン押したらまずは奥様がご対応してくださいまして。
「(仁保と言うべきか繁沢と言うべきかやはりここは吉川と言うべきか)すみません、こちらに吉川元氏さんのご位牌があると伺ったのですが…」
「え?」
「あの、毛利元氏とも…」
「ないですよ」
「え!?」
「お父さん、うちに吉川さんとこのありました?」
「あるよ(あっさり)。繁沢元氏さんやろ?」
「は、はい!!!」
奥様はご存知ではなかったようです(^_^;)
ちなみに歴代ご住職の方々のご位牌と並んで安置されてるんですよね。
すかさず羨ましがる元長兄さんが脳裏を過りましたww
そいや「(元氏さんと)どんなご関係?」と訊かれましたが、いや関係ってww 一瞬言葉が詰まりましたよwww

何はともあれ、感激したままお次は椙杜八幡宮へ。
元秋さんが養子入りしてた椙杜(すぎのもり)家縁の場所…なんですが……
数年前の阿川毛利家墓所を彷彿とさせる荒れっぷりでですな(あれほど酷くはないけど)…こう、ね。
地元じゃない人間がどうこう言う問題ではないのでひとまず黙ります。

そしてお次はいよいよ本日のメイン、通化寺へ!
例の如く徒歩ですとも、ええ。
どうにかたどり着いたはいいんですが、噂に聞いてた通りの荒れっぷりにですね…いやこれについても黙ります(二度目)
ただ、こちらに来る方はズボンのがいいです。足元ちょいやばいので。
そして元氏さんのお墓に至る階段でまたしても蛇に遭遇するワタクシ。
なんですかね、こう毛利史跡でよく蛇に遭遇するのは元就さんが巳年だからですかorz
今回は思わず叫び声上げてしまいまして…蛇が逃げて行ったっていうね。驚かせてごめんよ。
そんなことがありつつもどうにか元氏さんのお墓に到達!
感無量ですよ…!
お墓はとても綺麗にしてありました。有難いですほんと。
そしてこれにて吉川4兄弟の掃苔コンプにございまする。
ひとしきりご挨拶してからまたひたすら歩いて駅へ。
電車の本数ないですからね(^_^;)

で、徳山での乗り換えが40分待ちというとんでもない連絡の悪さに、なら史跡行くぜ!ってことで、以前に徳山来た時には行けてなかった興元寺に行ってきました。
はい、こちらも当然の如く徒歩で!(笑顔)
どうにか辿り着いた興元寺、ものすっごく大きい…!!
え、毛利家の各菩提寺より断然立派…!(暫し唖然とする神崎)
こちらは杉さんとこの菩提寺なんです。
そう、輝さんに嫁盗られた挙げ句景さまの命により殺された杉さんです。
さすがに徳山初代藩主の出自にも関わるので案内板には濁して書いてありましたが…
お墓とその上にある神社もお参りさせていただきました。
うん、祟り伝説→神社って多いよね……

そんなこんなでまだ夕方手前でしたが、福岡に戻るのに4時間以上かかるので今回はこれで打ち止め。
なんというか、その場所に立って想いを馳せることができるので、やっぱり史跡巡りはやめられませぬな。



金曜日は有給取って久しぶりに山口県文書館に朝から籠って毛利の古文書と戯れてました。
至福……!!
もうほんとここに住みたいよ私。山口県立図書館の二階に。毛利好きにはパラダイスですから。
で、帰る前に俊龍寺さんにも寄ってみました。
ここには輝元さんが建立させた秀吉と義昭さんと義輝さんのお墓があるのです。
しかし雨予報にもかかわらず、ずっと晴れてました~
流石の日頼さまパワー。
豊栄神社(元就さんがご祭神)にお礼言いに行きたかったけど、時間の都合もあったので感謝の念だけ送ってました。
…あとね、前にあそこの境内で蛇と遭遇したのが軽くトラウマでですね……(T_T)

翌日の土曜日は小郡(山口じゃなくて福岡の)で『中近世移行期における立花家臣団』の講座受けてきました。
ちなみに会場はわりと最近できた九州歴史博物館だったんですが、綺麗だし超広い…!
ただ、使い方工夫すべきだよなーとどうしても思ってしまって。
どう考えても莫大な費用かかってるはずなのであれだけの施設なら。
…まぁそれはさておき、講座自体はそれなりに面白かったです。
家臣団の名前や事跡は知ってても、(戸次の)譜代か与力かまでは知らなかったので~
それにしてもこの講座を皮切り(と言うべきか)に今から立花関係の講演とか企画展示てんこもりですよね~
楽しみです☆←全部行く予定の人



先週の日曜日(つまりは小谷の翌日)はまずニチアサ見てから(笑)、天徳寺にある元康さんのお墓にご挨拶に行きました。(大阪宿泊だったのです)
前に書いた気もするけど、こちらのお墓も資料も全部戦争で燃えてしまってるんですよね。
前回お伺いした際にその旨聞いていたので、(僭越ではありますが)今回は元康さんの資料をお持ちしてお渡ししてきました。
案内板設置が実現するといいな~

で、時間が少しあったので、急遽久しぶりに玉造の三光神社へ行ったわけですが。
…来る度に真田の抜け穴の上が派手になってる気が……
それからこれまたちょい時間あったので、中之島公園にある重成さんの忠魂碑にご挨拶をば。
ちなみに大坂の陣関連は平野の又兵衛さんとこ以外は既に網羅してたりするので~
それはさておき、某所でひとりアフタヌーンティーしてから、一番の目的である尼崎へ。

内蔵助さん(佐々成政)に会いたかったんですずっと…!

念願叶ってまたしても号泣ですよ。
行けて良かった。たとえお墓はレプリカでも!!
ちなみにお墓(のレプリカ)は真ん中のどでかい五輪塔ではなくて、その向かって右にあるこじんまりした石碑だったりします。
掃苔した後はせっかくなので尼崎城址に…と行ってみたものの、あまりにあれでしょんもりしてしまいそのまま隣の図書館に籠ってましたw
それにしてもJRと阪神の尼崎駅、遠いですね…流石に疲れたので戻りは阪神使いましたorz←行きはJR使った人

で、時間が微妙だったので本日二度目(笑)の玉造へ。
あんだけ玉造行っときながら一度も行ってなかった細川屋敷跡(=細川井)に行ってみました。
近くの某教会のガラシャと右近も激写してきました。
意外とまだまだ行ってない史跡あるな大阪…

ぼちぼちいい時間になったので、帰りの夜行バスに乗ったわけですが…
ここで衝撃の事実発覚。

行き先も目的も乗り場も違う某友人が隣の座席だった…!

座席表見て爆笑するワタクシ。
まさか同じバスじゃないよね~と言ってたのに、一緒のバスどころか席隣とかどんな運命ww
速攻メールして伝えましたw
おかげで帰りは寂しくなかったです(´ω`)



はい、てことで、夜行バスで大阪→新快速っていういつものパターンで超久しぶりに長浜に来ました!
途中、兵庫あたりで雨降ってたからどうなることかと思いましたが、小谷去るまで素敵に快晴でした。
夕立の間に虹も見られたし^^
長政さまのおかげですねきっと。

で、本日は浅井長政さまの命日(旧暦)ということで、小谷城址である法要と掲題の講演にやって来たわけです。
小谷城址はずっと登りたかったんですが、なかなか機会がなくて。駅から遠いし熊恐いし(^_^;)
だからとてもいい機会でした。
念願の小谷城址は番所跡から登ったからだと思いますが、想像してたより登りやすかったし、何より景色が最高でした!!
琵琶湖と竹生島が一望に見晴るかせるなんて…!!絶景かな絶景かな。
ただうっかり山王丸まで行ってたら、寸劇間に合わなかったっていうねorz
法要はどうにか間に合いました~(;´д`)
長政さまが自刃した赤尾さんの屋敷跡で焼香させていただきました。
その後は本丸大広間(野外)で講演…だったんですが、地べたにブルーシートだからお尻痛いし何より虫がががが(*_*)
ある程度は大丈夫なんだけど、蚯蚓とか尺取り虫はああああ(T_T)
ちょっとというかかなりきつかったです精神的にorz
講演の内容なんですが、実は長政さまの書状、確認できる数としては100通超らしいんですが、自筆もわからないし、感状やら寄進状やらがほとんどで、人となりを知るのが難しいんだそうです(;ω;)
……うん、毛利家はね、人となりわかりすぎるくらい仰山あるけどね私的な書状(笑)
時間の関係で駆け足なところもありましたが、資料しっかり載ってたので見直そうかと。

長浜駅に戻った頃には夕方だったんですが、琵琶湖大好きな私はすかさず長浜城へ!
しばらく夕焼けに染まる琵琶湖眺めてました。

それにしても、ガイドの方々はじめ、皆様相変わらず親切で嬉しかったです。
だから私、史跡の宝庫だからだけじゃなくて滋賀県が大好きなんですよね。
そんなこんなで本日も充実しておりました!
ちなみに明日もまた戦国充でござる(笑)



先週末は、
土曜日:熊本→清正展(二度目)&中野先生の講演
日曜日:北広島→吉川講座
と相変わらず戦国にまみれてました。

清正展は後期展示も面白かったです。
地元だからって変なあげかたすることもなかったですし。
地震加藤が作り話っていうのもちゃんと一次史料から実証されてましたしね。
あと、某地名はちゃんと修正されてましたww

中野先生の講演は相変わらず面白くて時間あっという間でした。
先生はいつも多角的な視点からお話されるからほんと勉強になるんですよね。
てゆか先生から追っかけて言われましたが誤解ですよww
ちなみに熊本県立美術館の歴代講演の中でダントツの集客数だったとか。
早目に席取りして正解でした。勿論真ん中で尚且つ真ん前ですが何か。
ちなみに今回のお題目は『加藤清正と文禄・慶長の役』でした。
詳しい内容はそのうちまとめてあげられたらいいなーと。他の講演もね。

日曜日は念願の北広島に連れて行ってもらいました!
もう感激!!やっと行けた吉川の本拠!!!
所在のわからない元倶さんは別として、これで9兄弟の掃苔オールクリアでございました。
噂の九曜紋蕎麦も美味しかったし!
講座『戦国武将の文化活動―吉川元春・元長父子を例にして』もなかなか面白かったです。
かなり丁寧に書状を読んでくださってたので、釈文苦手な人には良かったんじゃないかな。
あと、先生がナチュラルに広島弁でなんとなくほっこりした下関市民はこちらですw

2日とも充実&楽しかったですー。
やはり戦国は面白い。


そして今からまた旅立ってきます(笑)



電車の中からおはようございます。
先週末はかなり久々に東海行ってました~
初日は名古屋城と犬山城、中日は南宮山と関ヶ原、最終日は清洲城と岐阜城(の麓)。
この中でお初だったのは清洲城なんですが、予想に反して(…)楽しかった!
や、電車の中から見かける度に正直ちゃちく思ってたんですよ…でも実際はそんなことなかった!
確かに敷地は狭いけどお庭も素敵だし信長さまの銅像かっこいいし(*^ω^*)
展示の戦国中スポがたまらなくツボでしたww
全体的に子供の体験学習に良さげだな、と。
でも細かいとこ凝ってるしセンスいいんだ。
まぁ、それで予定より長居しちゃって金華山登れなかったんだけど( ̄▽ ̄;)
でも前に青ビニールぐるぐる巻きで拝めなかった若かりし頃の信長さまの銅像もやっと見れたし!
最終日だけで信長さまの銅像三体っていうw
そいや初日と中日は夕立(雷雨)に遭遇したけど最終日はちょっと曇った時もあってもほぼ快晴でした。
流石の信長さまパワーww
おかげでスカートとニーハイのわずかな隙間に紫外線アレルギー出て泣き笑いなワタクシ。ようやくだいぶ治まってきましたけども。
中日なんて関ヶ原着いた途端に雷雲が広がって稲光凄かったし。
なにこの実感体感関ヶ原的な演出ww 一緒だった友人が初関ヶ原だからってサービスしすぎですってばw
まぁ、雨は然程酷くもないし南宮山登った時は晴れてたのでまだ良かったんですが。
ただ足場のこと考えて吉継さんの苔掃できなかったのが無念(T_T)久しぶりにご挨拶したかったのに…まぁまた行くけど!
初日のゲリラ豪雨も犬山城から帰る時だったのでこれも不幸中の幸いかな…たった10分で道路も靴の中も洪水だったけどorz
でも相変わらず犬山城は美しかった…!いつか木曽川側から見たい。
そんなこんなでいろいろありましたが、楽しい旅でございました。
やっぱり岐阜県いいよね…(*´д`)
愛知県内もまだまだ回れてない史跡あるのでまた行くんだ!

あと、名駅にいるヒヨコメ…ごほん、ピヨリンが可愛くて美味くてたまりませんので是非南下してきていただきたい。



こないだの土曜日は熊本行ってました。
うん、肥後行き過ぎだよね。知ってるww

せっかく18切符だしと思ってまずはぼたもちさん(ぎんさんのお墓)に行くつもりが、まんまとネット上の地図に騙されてたどり着けず。
うん、そんな気がしてた(遠い目)
時間もないのでとりあえず切り上げて熊本市内へ向かうワタクシ。
ぼたもちさんは冬の18切符でリベンジしますよちくせう。

で、今回の一番の目的は清正展関連講演の二回目でございました。
散々言ってますが、私は実在した清正さん自体は決して好きではないです。
私のイメージとしてはあの方は計算高いパフォーマー。
主計頭の官職は伊達じゃないと。
しかしこの方も実像歪められた一人ですよね。まぁ、こちらは良い意味でですが。
そんなこともあって、今回の講演は気になってたのですが…
意外と(ご無礼)お話面白くて良い意味で裏切られましたw
講演は特に清正を贔屓するでもなく、公正に話されてるので安心して聞けたというのもあります。
あと、まさかの無双清正の図解キターーー!!
……どうしようかと思いましたよww
内容としては、現世利益の内容とそれが何に基づいているか(例えば水難避けは清正が治水の名人と云われているから←治水の件も実は一次史料からは何も証明できないんですが)とか、世情不安な時にその時々によって形を変えて信仰が広まったとか。
軍国主義に利用されたことは以前から聞いたことはありましたが、軍部側は無敗の英雄として、民衆側からは弾除けとして信仰の対象とされていた等、立ち位置によって違っていたんだな…と。
なかなか興味深いお話でした。

講演聞いた後は、広島県史漁るために佐賀県立図書館にGO!
相変わらずここの蔵書と対応は素晴らしく又ありがたいです(*´д`)
併せて3000ページもある広島県史借りて帰りましたともよ!
幸せの重みが佐賀駅までの距離にずしりと響きました、ええw

ちなみに画像は佐賀駅前にある浮立面の銅像。
散々行ってるのに全然気付いてなかったよ(苦笑)
ごめん黒さん。



※調べ足りない箇所は随時追加・修正していきます。
少しでも秀包さんのこと知ってもらえたら嬉しいです。


永禄10 1567 正月18日  毛利元就の末子(9男)として吉田郡山城下で生誕。幼名は才菊丸
元亀2 1571 正月  元就に初目見得
 元就より戸坂75貫を与えられる
5月  大田家を相続
 桜尾城で養育される
天正7 1579  隆景の養子になる
天正10 1582  備中高松城水攻め
 隆景、居城を三原城へ移す
天正11 1583  秀吉の人質として大坂へ
 泉州堺の馬場に屋敷を与えられて秀吉の近習となる
天正12 1584 1月  疱瘡を患う
 秀吉の偏諱を得て元総から秀包へ改名
3~4月  小牧・長久手の戦いに参加(初陣)
5月  竹ヶ鼻城水攻めに参加
天正13 1585 1月  秀吉より河内で1万石を与えられる
2月  大坂より帰国
3月  紀州雑賀攻めに参加
 四国攻め
6月  高尾城攻城に参加
7月  伊予金子城攻城に参加(天正の陣)
 隆景に伊予が与えられる
 伊予国宇和群3万5千石が与えられる
 湯築城の支城である大洲城(大津城)に在番
天正14 1586 9月  九州攻め
 この頃、黒田孝高の影響により切支丹となる(洗礼名・シマオ)
 小倉・宇留津・香春嶽城攻城に参加
天正15 1587 3月以降  筑後3郡7万5千石が与えられる
 豊臣・羽柴姓及び桐紋を与えられる
 大内記に任じられる(羽柴内記)
 この頃、立花統虎(宗茂)と義兄弟の契りを結ぶ
7月  久留米城に入城
9月  肥後国人一揆鎮圧のため、安国寺恵瓊と共に南関に出陣
10~12月 総大将として田中城攻城に参加
天正16 1590  大友宗麟の七女・引地(桂姫/マセンシア)を室に迎える
天正17 1589 7月13日  従四位下侍従に任じられる(羽柴久留米侍従)
 嫡男・元鎮生誕
天正19 1591 5月13日  高良山座主・麟圭を謀殺
天正20 1592  文禄の役に六番隊として参加(秀包軍は1500)
 竹嶋城を守城とし、大鼓城を攻城
文禄2 1593 1月7日  碧蹄館の戦いに先鋒隊として参加
文禄3 1594 秋  朝鮮より帰国
11月  秀俊(秀秋)を小早川家に養子に迎えるにあたり、別家を創設(天正17年説あり)
文禄5年 1596 5月10日  秀吉の命により高良山に千石の神領を寄進
慶長2 1597  慶長の役に参加
慶長5 1600 8月下旬  久留米より大坂に上り、大坂城玉造口を守備
9月  大津城攻城に参加
 関ヶ原本戦により西軍敗退のため、大坂に戻る
 抗戦を主張するも輝元に受け入れられず、宗家と行動を共にすることに決す
 これにより統虎と義絶(一説には安芸蒲刈にて)
 京都・大徳寺で剃髪(玄済道叱)
11月  帰国の船中で発病
 赤間関の宮元治郎大夫邸(現在の下関市南部町辺り)にて療養
慶長6年 1601 3月23日  早朝同邸宅にて大量に吐血した後に逝去
 本墓は下関市豊北町滝部の西楽寺に、供養墓・位牌・肖像画は吉敷毛利菩提寺の玄済寺にある



※毛利姓に復した時期は天正17年とも文禄4年とも慶長5年とも言われる
※元綱と名乗ったともされるが、総と綱の草書体が似ていることもあり、写の時点で誤記された可能性が高い
※秀包の前は元包とする説もあるが、改名前後の家中の書状に「もとふさ」と見えることから、孫の名前と混同されている可能性もある


【参考文献】
毛利秀包略伝(山口県文書館蔵)
毛利秀包略暦(山口県文書館蔵)
秀包家記(山口県文書館蔵)
秀包以来家記(山口県文書館蔵)
羽柴内記感状(大津市歴史博物館蔵)
萩藩閥閲録
山口県史 資料編
豊田町史
豊北町史二
吉敷村史
廿日市町史 資料編(厳島野坂文書)
甲山町史 資料編(木下文郎家文書)
久留米市史
寛政重修諸家譜
黒田家文書
大日本古文書(毛利家文書)
十六・七世紀イエズス会日本報告集
朝イチでギアス→ゴバス&フォーゼの映画観てから福岡市博物館で明日まで開催の『文書のかたち』観てきました。
宗茂さんの直筆書状やら大内義隆・大友宗麟・大友吉統・大内義長(宗麟の弟)やらの書状展示してくれるわ文書の形式説明してくれるわでどんだけ俺得な展示なの\(^o^)/
おまけに釈文&解説の冊子まで配布してくれてるという親切設計\(^o^)/
しかもクールシェアでロハで見せてくれるとかどんだけ太っ腹なの福岡市。
日本号と関ヶ原合戦図屏風もロハで見られるよ!

クールシェアで常設展示は今月いっぱいまでロハとのことなので、お近くの方は利用してみてはいかがでしょうか。
実際、施設がいいから快適ですわw



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プロフィール
HN:
神崎 廉
HP:
性別:
女性
職業:
アクティブなひきこもり
趣味:
戦国史跡巡りとか色々多趣味
自己紹介:
生まれも育ちも本州の最西端、おいでませ西の京・ふぐの国。
絵描き兼字書き。
美味しいものと可愛いものが好き。好きブランドはレスト●ーズとディ●ールとジル●チュアート。
見た目年齢不詳。
戦国時代とガン●ム大好き。
固定CP至上。でもリバはOK
VIVA眼帯。
戦国は西軍贔屓。お膝元な毛利家も大好き。
愛:小西行長・大谷吉継・石田三成・小早川秀包・穂田元清・末次元康・小早川隆景・吉川元春・吉川元長・吉川経家・清水宗治・宇喜多秀家・佐竹義宣・伊達政宗・真田幸隆・武田信繁・豊臣秀長・蒲生氏郷・明智光秀・佐々成政・丹羽長秀・木村重成・長宗我部信親・香曽我部親泰・浅井長政・上杉景虎・結城秀康
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